東京を離れてもライフワークを継続、
アートとデザインの力で町を盛り上げる
子どもが描いた”らくがき”をいつまでも残るアート作品として生まれ変わらせる、LITTLE ARTIST(リトルアーティスト)プロジェクト。当事業を立ち上げた太田潤さんは、大垣市生まれのアートディレクター。結婚を機に垂井町に移住し、同時期よりデザインの仕事を始め、東京勤務を経て2017年に垂井町で独立した。現在はデザイン会社「ハチグラフィック」の代表として、様々なアートディレクションを行なっている。
唯一無二の子どもの絵を
アート作品にする「リトルアーティスト」
生き生きとした感性に溢れる子どもの絵。大切な思い出として残しておきたいと思うものの、どこかにしまったまま…という方も多いだろう。「リトルアーティスト」は、そんな子どもの絵の雰囲気や魅力を活かしながら、プロのデザイナーが「アートコラボレーター」として作品に仕上げ、額装して届けるというサービスだ。垂井市で活躍するアートディレクターの太田さんが、18年前に社内プロジェクトとして立ち上げ、これまでに10,000枚以上もの作品を手掛けてきた。
もともと出身は大垣市、高校が垂井町だったので、このあたりには親しみがありました。卒業後は名古屋で洋服屋をやっていましたが、20年前に結婚し、養子として垂井町に来たんです。岐阜のデザイン会社に勤め、18年前に社長と子どもの絵をアートにする事業を思い立って「リトルアーティスト」を開発しました。それをクライアントだったライドオンエクスプレスの社長が気に入って、東京を中心に事業展開することになったんです。
「リトルアーティスト」は社内ベンチャーの位置づけで事業を展開し、大手百貨店のコラボイベントや英会話の入会時や新車・新築住宅購入などの特典となったり、芸能人が気に入ってメディアに紹介されたりして、逆着と全国に多くのファンを獲得するまでになった。太田さんもコラボレーターの1人として携わり、家族で首都圏に移住するものの、「やはり垂井で子育てしたい」と家族だけ戻り、約12年にわたって単身赴任生活を送ることになる。その後、2017年に独立して垂井に戻ってきたことを機に、「リトルアーティスト」を事業継承することとなった。
ずっと関わってきたので「リトルアーティスト」には思い入れも大きいです。どうしても子どもの絵は成長すると変わっていくので、その時にしかその絵は描けないもの。成長過程のある瞬間を切り取った、世界で唯一のアートになるんです。そうした特別感もあって、毎年リピートする人や兄弟揃って依頼する人などもいらっしゃいます。今年はクラウドファンディングにも挑戦し、企業向け版権提供やコラボレーションなどによって子どもたちの作品が「リトルアーティスト」ブランドとなる活動を推進しています。
「垂井はみんなが主役」を
体現するデザインで町をアピール
現在、太田さんは「リトルアーティスト」のコラボレーターの他、デザイン会社「ハチグラフィック」の代表として、様々な事業者や自治体からの依頼を受け、広告やイベントなどのアートディレクションを手掛けている。垂井町役場 商工観光係の「おいでよ岐阜たるいへ」キャンペーンの「垂井町PRラッピングトラック」もその1つ。垂井町を象徴するお祭りや歴史上の人物、人気のお店、動物などがカラフルな色彩で描かれており、さりげなく町の魅力を伝えるものとして好評を博した。
「いずれも垂井町を代表する人や動物ばかりで、描いていて楽しかったですね。自治体のアピールといえば、一番人気をどーんとあしらうものが多いと思うのですが、それよりも垂井の多面的な良さを表現したいと思いました。いっそ町民全員にスポットを当てるようなつもりで、垂井と関わる様々な場面を”てんこ盛り”で描いてみたんです。私自身、商工会議所にも入り、地元密着で仕事をしているので、『あの場面のあの人を描こう』と具体的なイメージもすぐに湧いてきました。
中でも一番気に入っているのは、「垂井曳やま祭り」だという。660年以上も続く伝統的な祭りで、県指定重要有形民俗文化財にも指定されており、5月2~4日に開催される。漆塗りに蒔絵や彫刻、金細工などが施された勇壮美麗な車山が、西町・東町・中町から1台ずつ曳き出され町を練り歩く。最大の目玉である「子ども歌舞伎」に登場する、色鮮やかな衣装に身を包んだ子ども演者の姿を描いた。
垂井の人なら、それぞれのモチーフについて「ああ、あれね」とすぐわかるようです。町外の人も「あれはなんだろう」と興味を持ってくれて、トラックについているQRコードからアクセスがあったと聞いています。イラスト自体も好評で、このキャンペーンから出て、様々なところで使われるようになりました。垂井曳やままつり、竹中半兵衛公、こいのぼり、表佐太鼓、中山道の飛脚の5つのイラストは、観光協会オリジナルのポロシャツにも使われたんですよ。
垂井の山を自伐型林業で守り、
自己表現の場として活かす
太田さんにとって、デザインは目的があり、伝えたいことを代弁するためのものであり、オーナーは発注者。一方アートは、自己表現であり自分のもの。長らく他者のためにデザインを担い、アート作品の支援を行なってきたが、自分表現としてのアートワークも徐々に手掛けつつあるという。てっきりグラフィックかと思いきや、その対象は山。自伐型林業で祖父が保有する山を守り、出た材で家具やトーテムポールなどをつくり、フィールドはキャンプ場などアウトドアを楽しむ場として提供していくという。
実は現在、垂井でデザインの仕事をしながら、福井県の「自伐型林業大学校」に入校し、小さな山を自力で管理するための知識やスキルなどを学んでいるところです。まずは山に小さな道をつくり、山にアクセスしやすくするところから始め、間伐などの作業をしやすくするだけでなく、子どもからお年寄りまで歩いていける”場”をつくる。それによって、キャンプやワークショップ、企業の青空会議室、新入社員の研修所などにも活用できるのではないかと考えています。
こうした山づくりの取り組みは、垂井町でも徐々に広がりつつあり、NPO法人泉京・垂井が主催する、山づくりのコミュニティ「もりのわ」に太田さんも参加。協力し合いながら、垂井の山を整備している。また、太田さん自身も組織化を考えており、夫婦でできる規模の自伐型林業について教えたり、研修をしたり、ここでも仲間を増やしていく予定だ。
垂井に来て、本当に好きな仕事しかしていません。「リトルアーティスト」はライフワークとして続けていきたいし、日本全国の子どもたちにアーティストとなる夢を届けたい。町を盛り上げる仕事も、山を再生する仕事も、どれも自分がやりたいと思ったことばかり。20代までは「なにもない町」と思っていたけれど、何かスキルや経験を得てから戻ってみると、いろいろ「やれることが多い町」だと感じています。デザインやアートなど自分の得意なことを活かしながら、魅力ある町にしていけたらと思っています。