岐阜県垂井町 ONLINE COLLECTION
作る人のお話
nekko farm
吉田 叡司さん

無農薬・無肥料で約100品種を栽培、
次世代につながる循環型農業に挑む

豊かな田んぼが広がり、東海道新幹線が走るその先に望む緑の山々ーー。垂井町の北部、岩手地域に広がる風景に一目惚れしたという吉田さんは、移住して10年、会社員から農業に転身して5年。今では年間約100種類もの作物を無農薬・無肥料で栽培し、飲食店や直売所に卸すほか、全国の顧客宛に直送販売している。近年は自家採種や新品種米「イセヒカリ」の栽培など、好奇心は尽きず、新たな挑戦の日々だ。

自然豊かな垂井に呼ばれ、「いつか農業」の夢を実現

ここからの景色は”パノラマ独り占め”という感じで、最高でしょう。初めてこの土地を見た時にはビビビッときて、家を建てたら見晴らしがいいだろうな、田んぼや畑はどこにつくろうと、どんどんイメージが湧いて、それを少しずつ形にしてきたというところです。もちろん今も進行中で、やってみたいことが次々と浮かんできます

太陽に目を細め、笑顔を見せる吉田さんだが、垂井に引っ越してきた頃は、営業職として会社に勤め、人間疲れ、数字疲れでヘロヘロだったという。勤務先が隣町の養老町となり、通勤のために妻の出身でもある各務原市から引っ越してきた。隣の大垣市出身ながら、垂井は縁もゆかりもない町だった。

はじめは借家に入り、会社勤めをしながら町を散策する日々でしたが、垂井町がすっかり気に入って、もうここで農業をやろうと決めました。大学時代からいつかは農業をやりたいと思っていたのに月日ばかりが経っていて、決心するためにここに呼ばれたんだ、と思いましたね

そんなある日、たまたま訪れた「Cafe 木工房 結」で、セルフビルドで家を建てたという木工師の黒川大輔さんと知り合った。もともと家を建ててみたいと憧れていたこともあり、「これはチャンス!」と一念発起。黒川さんの師匠である大工の清水陽介さんを紹介してもらい、指導を受けながら1年間かけて家造りに没頭することになった。

実質的に、それが会社員を辞めるきっかけになりました。そして、家造りが終わりかけた頃、たまたま高校の同級生が農業法人を立ち上げるというので合流し、そこから農業の修行が始まりました。知識も経験も全くなく、完全にゼロからの出発でしたが、無農薬栽培の田んぼを約25ha分を3人で、さらに13a分の畑を1人で管理するというハードさ。夜は気絶するかのように布団に倒れ込んでましたね。でも、そのスパルタな体験のおかげで、農業をやる自信がつきました。それで2年間で農業法人を辞め、役場の農林係を通じて農業委員会に相談し、農地を借りることにしたんです。

自家採種をメインに育てた
“旬の野菜”の詰め合わせをお届け

現在、畑は1ha、田んぼは13aを一人で管理する。大地のエネルギーを吸い上げる根っこのイメージから、「nekko farm」と命名。できるだけ環境への負荷をかけないよう、農薬や化学肥料は一切使用せず、自然界にある落ち葉や籾殻くん炭などを土にすき込み、大地の力で作物を育てることを基本としている。

農業をやるなら、絶対に無化学肥料・無農薬栽培でやりたいと考えていました。さらに、水やりもせず、できるだけ手をかけません。すると野菜は生命力を発揮して、水を吸おうとしっかりと土に根を張り、栄養をしっかり溜めて美味しくなっていく。お客様には「味が濃い」「滋味深い」などと言われるのですが、中には「エネルギーを感じる」と表現される方もいます。

さらにnekko farmの野菜の魅力はそのバリエーションにもある。「その季節に穫れたもの」のセット販売をしようと考え、作れるものを作るというポリシーを貫いたところ徐々に増え、年間手掛ける野菜は100種類を超えている。

例えば、今年のナスは、自家採種4年目の「翡翠茄子」、世界一美味しいと言われる「ヴィオレッタ・ディ・フィレンツェ」など4種類、オクラでは、甘くてころっとした「ダビデの星」、赤くてサラダにも映える「ベニー」などを収穫しました。お馴染みの野菜も、品種によっていろんな個性があるし、料理する時も食べても楽しいですよね。しかも約9割が自家採種で育てた固定種/在来種。その土地の風土に馴染み、無化学肥料・無農薬栽培でしっかり育つし、美味しくて栄養価も高いんです。

とはいえ、「自家採種」は何より手間がかかる。吉田さんの場合、500株ほどの中から良い母本(ぼほん)を”直感”で選び、収穫せずに種が熟すまでおく。さらに乾燥するのにも時間がかかり、細かい種を取り出して蒔き時まで保管しておく必要もある。発芽率や栽培期間なども含めて決して効率的とはいい難いが、それでも固定種・在来種、自家採種にこだわるのは「楽しいから」だという。

種には次の世代に引き継がれるべきDNAが詰まっています。でも、親と全く同じというわけではないんです。例えば「ヴィオレッタ・ディ・フィレンツェ」はイタリアのナスですが、種取りをすると垂井の風土を記憶して、垂井のナスになってきます。水や空気、風、虫に食べられた経験まで取り込んでいくので、代ごとにアップデートして、病気や虫にも強くなるし、その土地の味がしてくる。栽培はもちろんですが、母本選びからワクワクするし、種ができると可愛くて仕方がないですね。

そうやって種から手間ひまかけて育てられた野菜がおいしくないわけがない。味がわかる全国の消費者が直送を心待ちにし、カフェやレストランからもご指名で注文が入る人気ぶりだ。ほとんどが口コミや紹介で、東京の私立保育園の給食にも使われることになったという。ECでの購入も受け付けてはいるが、時期によっては予約販売のみで売り切れということも少なくない。

本当にありがたいことですね。でも、nekko farmのような農業は、まだ少数派。この垂井でも、種交換会ができるくらい、仲間を増やしていきたいです。そういうポテンシャルが垂井にはまだ十分にあると思います。

丸5年を経て、土作りに始まり、作物の品質や種類も揃い、顧客も安定的に確保できるようになった。その中で、現在挑戦しているのが、伊勢神宮の神様に捧げる米をつくる「御神田」で生まれた「イセヒカリ」の栽培だ。2008年の二度の台風でなぎ倒された稲の中で、わずかに助かった二株を調べたところ、新品種と判明したという奇跡の米だ。知り合いから種籾を譲り受け、1.3反分を栽培し、今年で2回目の収穫を迎えた。

コシヒカリの突然変異で甘みが強く、冷めてもおいしいので、寿司やおにぎりにすると最高です。背が低くて倒れにくいし、肥料いらずで病気にも強い。一方、肥料を入れて機械化された今どきの栽培には向かないそうです。心を込めて丁寧に育てないと育たない、まさに”神がかっているお米”なんです。うちみたいな小規模農業と相性がよく、手植え・手刈りは大変とはいえ、基本的には手をかけなくてもしっかり稔ってくれるんですよ

そして、その「イセヒカリ」を使って、オリジナルの日本酒を開発することが次の夢だ。かつて酒蔵で働いた経験もあり、「いつかは」と思いつつも、酒造法の壁で断念しかかっていたが、大垣市の酒造に務める若い杜氏さんとの出会いで、実現の可能性が高まってきた。

地元の米でつくったお酒としてブランド化するために、1トン単位で仕込む従来の製法から、小さなタンクで仕込む製法にガラリと変えたそうなんです。最低単位で米が420kg=7俵分あれば1000本。うちの田んぼの収量は10俵を超えるほどなので、「作れる!」と小躍りしました。米にも物語があり、大量生産できない希少性は、自分も含めて酒好きにはたまらない。ぜひ、実現させたいと思っています。

資金は、カメラマン・編集者でもある妻の知子さんのアイデアで「飲みたい人クラウドファンディング」で集める予定。田植えから酒造りまでを体験する、サブスク型の構想もあるという。他にも、クラフトビール開発や野菜の加工品開発など、「やりたいことがありすぎて、体が足りないくらい」と豪快に笑う吉田さん。実際、垂井に移住後は、人との出会いを機に「いつかは」と思っていたことが次々とかなっていく。そんな力を”ご縁”というのだろう。

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